鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)


晩冬の最後の最後・大寒の末侯になりました♪

平野恵理子さんは『オリオン座輝く』と、空についてこの時季の七十二侯を記しています。

確かに冬の空は凍てつくほどに冴え、星のきらめきが見事で見惚れてしまいますものね☆

一般的な七十二侯では“春の気を感じた鶏が鳥屋に入って卵を産む頃”と、地上の動物の様子について記されています。

鶏たちが春の気を感じて産卵するにもってこいな状態で、ここ数日、身震いするような寒さが緩んできました。

本当に春の足音がすぐそこまで近づいてきているみたい☆

三寒四温というからまだまだ寒さ対策にも気が抜けませんが、きっとこれからは一雨ごとに温かくなっていくことでしょう。

そうそう『鶏が産んだ卵はどのくらいでヒヨコになるのか?』というと、だいたい3週間くらいなのだそうです。

だからなのかなぁ…黄色というのはわたしの中では強烈に春のイメージ。

菜の花が咲いて、たんぽぽが咲いて、雛がヨチヨチ歩いて、新一年生がピカピカの黄色帽をかぶって登校していく。

動物も植物も成長するエネルギーに満ちていて、はつらつとしている季節です☆

日本の新年度が4月始まりというのは、四季のある日本に即していて素敵な慣わしですよね~♪

爽やかでフレッシュな…温かい黄色の季節が待ち遠しい(笑)。

さてさて、今回は卵に関するお歌をご紹介したいと思うのですが、ちょっとだけ趣向を変えて万葉集や古今集といった古典ではなく、現代短歌を載せることにしました。

というのも、タネを明かすと実は卵に関する古典和歌が見つからなかったのです(汗)。

昔は卵が大変貴重な食品でしたので、今のように日常的に食卓にのることはありませんでした。

“滋養になる”とか“精がつく”といわれ、半分は薬のような扱いだったようで、特に病人のお見舞いなどに用いられることが多かったのだとか。

そんな背景を考えると、おせち料理に欠かせない伊達巻が超・豪華料理だったことも頷けますよね~♪

朝ごはんに卵焼きとかスクランブルエッグとか、わたしたちにとっては当たり前の定番メニューでも、当時の人にとったら目玉が飛び出てしまうくらい贅沢なことだったのかもしれません。

でも現代のように自然のサイクルが壊され、鶏が人工的に卵を産むための機械のように扱われているからこそ、こんな生活が成り立つのかも?(沈)

本来その家で飼われていた数羽の鶏が産む卵を食べていたのだもの。

“命あるものがいのちを産む”という自然の摂理をそのままにした暮らしでは、得られる卵の数は多寡が知れていますよねぇ。

1日にひとり1個の卵なんてとても食べられなかったのではないかしら?

それなのに今の時代はパック詰めされた卵が100円ちょっと(100円以下の場合も…汗)で買えてしまう。

そう考えると、わたしたちの消費欲によって不自然に産まされている卵がいかに多いかが見えてくるように思うのです。

自然のサイクルを捻じ曲げて得られる卵はすごく哀しい。

お料理にもスウィーツにも卵は絶対に欠かせないけど、だからこそ昔の人たちのように大事にいただきたいですね☆

また卵を産んでくれる鶏たちの環境がいいものであるように…とも願っています!

できるだけしあわせな環境の中で鶏が成長して産卵できたらいいなぁ~♪

“卵もて食卓を打つ朝の音ひそやかに我はわがいのち継ぐ”(高野公彦)

自分の大切な命を継ぐために、卵の小さないのちをいただいて自らに取り込む。

このお歌には自分の命への愛情といのちを授けてくれた卵への感謝、そして今日も元気に自分らしく生きていくのだ…という前向きな決意が含まれているように感じられました。

そういえば、以前『いのちの食べ方』という映画を見たのですが、興味のある方はぜひぜひ1度ご覧になってください~☆

この映画は上のお歌のような明るい内容ではなく、植物にしても動物にしても、いのちあるものを食べねば生きていけないという人間の業がジリジリと感じられて苦しかったです(涙)。

さらにそのいのちの扱い方がまるで工業製品をつくりだすかのように冷たく機械化され、命あるもの同士の温かな交流や複雑な感情が一切排除されている現代の食事情を目の前につきつけるような…そんなドキュメンタリー映画でした。

『食べる』lことが大好きなわたしでも、この映画を見終わった後あまりのショックに、ズーンと落ち込んで食欲が落ちるほど…(沈)。

“わがいのち継ぐ”と朗らかに詠えるほどエネルギーに満ちた卵の存在こそが、今の時代は貴重になってしまったのかもしれません。

もう一首はまったく別の卵のお歌を♪

“取り落とし床に割れたる鶏卵を拭きつつなぜか湧く涙あり”(道浦母都子)

このお歌はわたしの中では姑にいびられた嫁の歌…なんとなく橋田壽賀子のドラマを彷彿とさせます(笑)。

我慢して我慢して限界まで我慢して…卵の殻みたいに薄い壁を貼りめぐらせて、なんとか感情の放出を耐えているのに、そこに何かしらの刺激があってパリッと表面にヒビが入ってしまったら、あとは止めようにも止められないほど涙があふれて号泣…。

心情的にはものすごく共感できるお歌で、泣きだす時ってきっと誰でもこんなふうに卵のような状態なんだろうなぁ…と思うのです。

それに他人のいる前では思い切り泣けず、割れた卵を拭っている自分ひとりの空間でこそ、安心して泣けるというのも…きっと意地っ張りな作者と相通じるところがあるわたしには「うんうん」と大きく頷けるお歌なんですよね~(笑)。

卵は割れてツイてないし、人目をはばかる必要もないし、抑えていた涙のスイッチがカチッと入ってしまうような場面設定なんだもの。

このシチュエーションだったら、きっと泣かずにはいられないような気が…(笑)。

でも泣くとドロドロとしていた感情がスーと流れて、スッキリするのはなぜなんだろう?

涙で眼を洗ってピカピカになった瞳で世界を見られる…から?

なんにしても涙の効用ってとても偉大だと思っているので、大人になってもワ~ンと大泣きできる時が必要なのでしょうね♪


※写真はゆんフリー写真素材集さまからお借りしています♪

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